みらい21かなる

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美濃賀茂市長への控訴の論点 新しい社会保障 ミュンヘン報告 オランダ報告 成年後見制度の能力判定 新成年後見制度のゆくえ
 
平成9年度社会福祉士及び介護福祉士海外研修・調査事業報告書
 (財)社会福祉振興・試験センタ―平成11年3月発行P147-169 
ミュンヘン市における精神保健政策
東京都 精神障害者自立支援センターみのり会 山崎真弓(当時)
 
13年前の研修・調査のテーマと問題意識
バイエルン州(州都ミュンヘン)には精神保健法は無いという。それでいて精神科病院の運営に支障があったとは聞かない。当時私達は、精神医療を管掌する法律は精神保健法以外発想も出来なかった。バイエルン州は成年後見制度の改革に熱心で、世話という新しい概念の下、世話法による後見人(世話人)が、当事者の代弁を始めていた。13年前、私はこの地の精神の強制入院手続きはどうなっているのだろうか、知りたいと思った。
精神保健法は強制入院、監置の手続き規定を持つ所に特徴があり、ここの部分を新しい成年後見法(世話法)の身上監護の居所指定、施設収容事件、同意留保(司法関与)事項として手続きを進める事ができるならば、精神科病院も他の診療科と同じ医療法などの法制の下で運営される事が出来る可能性がある。私はミュンヘンの実態を知りたいと思ったのだった。
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 ミュンヘン報告のさまざま(概要)

はじめに
  1. なぜ調査を希望したか
  2. ミュンヘンの実態
  3. 現地での調査日程の調整
  4. 学生時代の良きクラスメート
  5. 調査のはじまり
  6. 調査報告書作成について
  7. まる目(定額)支給の研修費
  8. オンケットで叱られる?
  9. 調査報告書の内容
  10. 日本とドイツと二つの診断基準
  11. 広汎な国民の精神保健ニーズ
  12. 精神医療を市民社会、国民一般にひらくために
おわりに
平成9年度社会福祉士及び介護福祉士海外研修・調査事業報告書
 (財)社会福祉振興・試験センタ―平成11年3月発行P147-169
  ミュンヘン市における精神保健政策
東京都 精神障害者自立支援センターみのり会 山崎真弓(当時)
  15年前のミュンヘン研修・調査報告

はじめに
私は1998年(平成10年年)2月16日、社会福祉振興・試験センターの配慮により、社会福祉士の海外研修・調査のため、ミュンヘンに派遣されて35日間調査研究をしている。13年も過ぎた今、思い出も含めて全体像をなぞりながら、当時の思いを下記に纏める。
 当時私は、東京都東村山市の精神障害者の自立支援センタ―現場のコーディネーター兼代表で忙しかった。落ちついて海外研修の準備をする時間が無かったが、知り合いの旅行会社の社長のつてで、ミュンヘンのモッテソリー協会を頼る事ができた。幸いそのドミートリ―を確保して頂いた。今から思うと日本でできた準備はそれだけだった。
 通訳も付く、研修も受けてもらえると、思いこみもあって寒い冬、出掛けた。PSW法成立後3カ月、日本の職場では、私をねらって元患者の男性が民事訴訟まで起こしていて、娘の命まで狙い、夫の勤務先人事に脅しの電話をいれるなど、仕事にならなかった。その渦中で、この研修の35日間は事実上の避難となり、また心の傷がつかの間癒やされるような、勤勉で誠実な人々、ドイツ人気質の素晴らしさにふれる機会となった。

1.なぜ、ミュンヘン調査を希望したか
私の研修・調査のテーマは、当時新法成って世界の成年後見制度改革をリードしていたドイツ世話法(新成年後見法)が行う、精神障害者の入院、強制入院(監置という)のための手続き、その実態を調べるというものであった。

ドイツ、バイエルン州(州都ミュンヘン)には精神保健法は無い。それでいて精神科病院の運営に支障があったとは聞かない。当時私達は、精神医療を管掌する法律は精神保健法以外発想も出来なかったので、この国の法制度はどうなっているのか、それを知りたいと思った。

精神科病院への強制監置が、ドイツ世話法、成年後見法の身上監護の同意留保事項(当事者であっても、後見人であっても、裁判所の許可無くは決められない事項)として、他の高齢者、障害者の施設収容と同じに居所指定、施設収容事項として司法が関与する吟味がなされている.らしい 。日本の精神保健法は、この強制入院時の手続き、強制監置に際しての人権規定を持つが故に独自性がある。ここを成年後見法の居所指定、施設収用手続きとして行う事ができれば、精神病院も精神保健法ではなく医療法の下で運営できるのかもしれない。

私は、当時の精神科病院の閉鎖性、終日施錠された病棟で、薬物療法中心、手間をかけない(看護基準も低い)サービスの薄いシステムでの治療を前に、バイエルン州の監置手続きを調査してみたい、看護基準も他科並み、開かれた精神科病院へと変革できる糸口があるのでは、と考えた。

2.ミュンヘンの実態
現地に行って調査をすると、バイエルン州には確かに精神保健法は無かったが、警察法で強制監置を行っていたのだった。日本の精神保健法の強制入院の要件、自傷他害という部分を、すっきりと、あるいは古典的に、警察法が行っていた。そして、ミュンヘンはナチス発祥の地でもあった。

ドイツ社会は戦後、ナチスの戦争責任問題を抱えて、精神科強制入院の監置手続きを厳格化して、精神病院には司法職の執務室設置が義務付けられ、かつてナチスが行った収容を再現させないため非常に厳格な司法手続きが実施されていた。そこに新たに世話法による世話人(成年後見人)が入りこみ、本人側からの代弁を行い始めていた。

ミュンヘンの場合、世話法の利用者は当時、おおざっぱに高齢者が60~65%、身体障害者10%、精神発達遅滞10%、残り20%強が精神ということだった。世話法の利用が増えて行くさまを、オンケット以降の精神障害者の地域化定着の中で「地域化を追いかけるように」と表現されたソーシャルワーカーにもお会いした。精神病院への強制入院への不服請求に関係した世話事件は同意留保の大部分を占めていた。

3.現地での調査日程の調整
そんな事情を知るまでが大変だった。私がモンテッソリ―協会の研修担当、調整役の教授と思って交渉をしていた人は、パートの女性事務員だったのだ。それは日本への帰国直前に知った。その時は何か埒が明かない事は分かり困惑した。東京の社会福祉士会に相談の電話を入れて、ジェトロに相談して通訳を見つける事などを教えて頂いた。

それを知った親切なドミートリ―のオーナー、フラウハン(花さん?)が、モンテッソリ―協会の高名な牧師、フットラル神父(ヒットラーとよむのだろうか?)のミサに出るように、重障身体障害児達と共に行う、復活祭のミサに紹介状を書いてくれたのだった。

そこから道が開けた。素晴らしいミサの後で、フットラル神父が紹介してくれた3か所の調査機関から、そのつてで次々と、芋づる式に調査する機関を増やした。また電話番号簿からそれらしい名前の機関にFAXをいれて調査を依頼した。

知人がつけてくれた通訳の方は、いつもドイツ人に発音を直される人で、独語、日本語だけ、英語が話せない。私は了解事項は英語で確認を取りたい。それが出来なかった。それでジェトロで教えられた通訳候補者に次々と電話をいれた。

当時ミュンヘンはまだパソコンはおろかワープロも無かった。駅前の中古家電販売店で見つけたのは、電動のタイプライターだった。FAXをドミートリ―に取り付ける事、その料金の支払い方法は通訳が調整してくれた。

私は、英文は読めるが、英語をよく聞き取れないので、FAXしか使えないと思った。FAXを取り付けて、急ごしらえの事務所としたドミートリ―の一室で、私は15年ぶりの、英文のレターを書かなければならなかった。以前小さな企業の国際部で、船積み書類を作っていた経験があるので、昔とった杵柄ではあった。しかしもう大変、英作文、タイプ、ミスタイプは白いインクで消すと言う作業だった。徹夜して一枚仕上げた時は、疲労困憊、ぼーと朝の光を迎えた事を覚えている。それをコピーするコピー代もまだとても高かった。

中身は成年後見法が出来そうな日本の情勢、私のテーマ、この窮状、そして報告書を待っている人達がいるのに、自分はひと月しかミュンヘンに滞在できないと言う事だった。

4.学生時代の良きクラスメート

幸い、私はミュンヘンへと出発の前に学生時代のクラスメートに電話をしている。彼はネイティヴ並みの英語力のある人で、国際論文を沢山書いているらしく、私の書いた履歴書、背景、研究テーマを見事に直してくれた。彼の文書は威力を発揮したらしく、どの機関もそうそうたるスタッフと合わせてくれた。かなりの評価を得た文書ではなかったか。各機関での調査・討議では、新しい発想、発見との遭遇で私は目を見張る思いだった。

クラスメートの手になる2枚の文書、それに私の書いた英文のヘッドを添えて、電話番号簿からそれらしい20を越える機関にFAXを入れた。半分程返信があり、みんなとても協力的でドイツ人は誠実だなあと感心した。この中で私が交渉していたモンテッソリ―協会の女性は研修担当の教授ではない事を教えられた。FAXが入らない所へは、3枚ワンセット文書を郵送した。

こんな風にして、ミュンヘン到着後2週間程で、調査日程を組んだ。大変だったけれど、私はその時家族と離れていて家事が無かった。お弁当を毎朝3つ作っていた頃、朝は出勤前に洗濯も5人分だったのだから、24時間を自分の為だけにつかえると、こんなに仕事ははかどるんだなあと驚いた。自分の食事と洗濯だけ。ばんざーいと思った事を覚えている。

5.調査活動を終えるまで
こうやってこぎつけた調査研究は、本当に楽しかった。日本では電車から降りる時、街角を曲がる時、いつもいつも後ろを緊張して警戒する、ストーカーにおびえる毎日だったのだから。

夫から国際電話がかかってくる。家は大学生の長女が仕切ってくれていた。しかし海外研修では全てを通訳が決すると言っても良いほどなのに、私は訪問日程が決まって始めて、通訳を予約する、直前に日程を指定して通訳をお願いする客人だった。通訳も大変だったろうが、良く付き合ってもらった人、散々な人、同時通訳のレートで請求されて、断るのが大変だった。

最後の日に、帰国の直前、駅前の中古家電販売店に約束通り、タイプライターとFAXを引き取ってもらい、それから帰国した。アムステルダムだったかの乗り換えの空港で、日本語の新聞を手に入れて、声を出して読んだ。涙がぽろぽろと出た。会話できない、母国語を話せないと言う事は壁の中に詰められているようだった。ストレスが溶けて涙となって流れた。若かったなあと思いだす。これが私の13年前の35日間のミュンヘン研修です。

(英文履歴書英文研究テーマ・英文の調査依頼レター・海外研修。調査日程表

6.調査報告書作成について
3月下旬に帰国、家庭と職場の留守中の雑事を次々とこなし、次年度の補助金の申請書のため、会計を締めるのが大変であった。その合間を縫って1月程でミュンヘン報告書を書いた。睡眠時間を潰すしかなかった。この研修には報告書作成にあたり指導いただける教授も配置されていて、これまで派遣された方々人達も色々訂正し完成させた報告と知っていたので、急ぎ筆を滑らせて全体像をなぞったという感じ、それがやっとだった。

この研修の報告書の扱いは、今から思うと妙である。今頃色々な不思議が繋がってきて、気づくことがあり、臍をかんでいる。

事実を記しておきたいと思って今書いている。素人の現場職員が多忙の中で書いた調査報告書とはいえ、今見直すと、書いて良い事悪い事、国語的な表現のまずさ、論旨、論脈の杜撰など多くの不十分さを抱えている。ひと月と少しで、やっと滑り込み書きあげた不用意で未完成なものであった。

7.まるめ(定額)支給の研修費
指導の任にあった教授から、確か狸穴だったか港区あたりに、大使館が並んでいたような気がするが、呼び出された。その前に事務方から忙しい職場に120万だったか給付されたお金の報告について色々と問い合わせがあった。このお金はまるめで出ていたから、どう使っても返却もないが、追加支給も無い。それもあって私はあまり几帳面な金銭管理をする時間が惜しく、この限られた35日間という時間を、日本での準備不足を補うため、報告書の完成を最優先させた。

なんとかして研修日程を埋めて、情報を集めて、報告書にしなければならない。それで精一杯だった。お金の管理は、ドイツマルクに変えているので、後でおおよそ分かるので、細かく管理せずに終わってしまった。

それを色々と担当者から問い合わせがあったと記憶している。思い出しながら答えていたが、そのうち私の宿泊費は非常に少ないと言いだした。モンテッソリ―協会のドミートリ―だから、ホテルに宿泊した他の人達とはケタが違ったのだろう。公団住宅風の一室を、南ドイツの若い女の子と共同でひと月使用したものだから、凄く安かっただろう。一方通訳は突発の訪問日程に、必ず調達している。高額に成らざるを得ない。

それに気づいて、多忙な現場に事務方担当者から電話が何回か入った。私の方は当たり前の事なので、時間も惜しく、一生懸命に答えた事を思い出す。私には自費の持ち出しが随分あった。多分20数万だが、それは仕方が無いと思っていた。限られた日程で報告書を上げるだけの資料、データを在ミュンヘン一月間で取れるかどうかの瀬戸際だった。日本での準備不足は否めず、不安でお金に目処はつけられなかった。それを言うべきだったろうが、何となく言いだし難かった。

幸い家の家計は安定した共働き、実家からの相続分、バブルの恩恵まであった後で、余裕があった。せっかく派遣されているので、報告書をきちんと書く事が出来るなら、そのくらいは当然と思った。

8.オンケットで叱られる?
会計を問い合わせてくる担当者、男性の方、○さんだったか変わった名字だったと思いだすが、その方は会計の問い合わせは止めて、今度は報告の中身を色々と尋ねたように記憶している。

オンケット(ドイツ語でアンケート)だが、これは大規模精神医療調査報告書のようなもので、この調査がミュンヘン、ドイツの精神医療行政を大きく転換したと理解された。イタリア、トリエステは、大規模精神病院をすべて閉鎖して精神障害者を地域ケアシステムにゆだねると言う大転換を行った事で有名だが、南ドイツ、バイエルン州(州都ミュンヘン)は、そことは隣り合わせであった。ここバイエルン州でも同じ改革、精神医療を病院医療から、地域医療、地域ケアに転換する流れを決定づけたのが「オンケット」、膨大な基礎データとその総括文書であった。その為現地ではみんな非常な重さでオンケットを説明する。

このオンケットは単なるアンケートである、大きな間違いだと言ってくる。私の方は、何か重大なステートメントみたいなニュアンスだと報告している。それでアンケートでは重大な過ちだといって、指導の任にあった教授が呼び出しているという。私もそうだったのか、困った事だと思って、確か港区の特殊法人だったかの、大きな立派な研究室か何かに出向いた。

しかし、道すがら思い出すに、ミュンヘンではどこに行ってもオンケットを知らない機関は無く、みんな重大な事として説明していた。 当時は良く分からなくなって困ったが、その後色々と情報を得て、オンケットとはドイツ精神保健システムを大きく転換した歴史的大規模調査、その調査結果報告書であり、重大な精神保健行政の転換を求めたものと理解している。私はバイエルン州のどの機関を訪れても、調査しても、私の理解との間で齟齬があったとも思えないと当惑していた。素人の研修報告なので指導教官の添削、微調整がある と思いこんでいたので、途方に暮れた事を思い出す。

その後、調布か、国領で行われた発表会で、教授のコメントに対して、現場の一ワーカーの私から質問をする事ができない気持ちだった。あの時、質問をすれば良かったと後悔している。その帰りの電車で、一会員が先生はああいうけれど、内容は独自的で、仕事の中からの問題意識からの調査研究はとても良いと言われて、救われた思いだった。

私の報告はこのようにして、赤い表紙の報告書にのり、この次からこの研修制度は、現場の処遇の調査研究だけ、制度の研修はしない事に変わり、教授は指導の任を解かれた。しかしソーシャルワークとは、実践から制度創設、ソーシャルアクションへと循環する総体である。ソーシャルアクションが重要である。後にこの研修の趣旨が 変ったとずーっと後になって知った時、私はそう思ったものである。

9.私の調査報告書の内容
ミュンヘンの調査先では、私の勘違いを丁寧に直して頂き、結局のところミュンヘンでも、精神保健法の強制監置部分を、世話法(ドイツ成年後見法)の居所指定、施設入所として手続きを進めているのではない事がわかった。警察法の中で、司法関与で厳密な手続きで強制入院が行われ、その後、あるいは同時並行して、世話法による世話人(成年後見人)が、本人の代理人として異議をとなえたり、司法判事に見直してもらう事をしていた。世話人の付いていないケースでは、将来に備えて世話人をつけて、退院後の生活、今後の入院を含む治療にそなえていた。13年も前である。

精神保健福祉法の特殊性は、病識が無く、自分は病気ではないと思い込んでいて、逸脱的な行動を続ける当事者を強制入院、監置して治療を要する手続き規定にある。この強制入院に際して、人権擁護の観点からの手続き規定である。これを他の形式でカバーできるならば、日本の社会でも精神病院は他の医療機関 と同じ医療法で足りるのではないか。私の報告書は、精神医療を他の医療機関と区別している、強制入院規定について、他の領域(高齢者障害者児童など)の施設収容、医療同意(難病など)の要件との間で整合性のとれた、共通の法制度(社会的ルール)で行う事を検討している。

この内容は医療、福祉、介護サービスを提供する施設への入所、入院時のインフォームド・コンセント法の提案である。医療施設、高齢者の介護施設、、児童の療護施設、障害者の各種入所施設への入所時の手続きについて、一方の利用者最善の利益(入所の必要性、保護の必要性)と、他方の本人自己決定権、地域生活をする権利という二つの問題を調整するために、どのような人々が、どのような範囲の情報をもって、どのような基準で要否を決めるのか、それをルールづける法律である。この中に精神医療の強制入院規定も一般的ルールとして取り込まれる事ができないのかと考えたのだった。

精神の場合入院時は、自らの病気を自覚せず、治療の必要性が理解できない場合があるので、治療の必要性(最善の利益)と本人自己決定権の間での調整問題が出てくる。
退院時は、生活保護の家賃扶助は当時は最大6カ月、それ以上の入院となると、地域に借りていたアパートを失う事になるので、生活保護で生活していた人達にとっては6か月以上の入院は「住宅の解消」問題となり、成年後見法の身上監護事項となる可能性がある。それ以外の時期の退院に際しては、新たなアパートなのか、家族の下なのか、施設なのかを、本人意思との間で「居所指定」の問題として検討される事が出来る可能性がある。
このように精神障害者の入退院の過程を、一般的市民的手続きとして行う事が出来る可能性がある。

精神医療のさまざまが市民社会、他の障害者施設、制度や、一般病院と同じルールの下で、市民に開かれる事によって、他科との平準化が促される事を期待した訳である。精神薬の処方、患者処遇の在り様を市民社会の側から、市民社会のルールから眺める事もできるのではないかと考えた。

10.日本とドイツそして二つの国際診断基準
ミュンヘンの精神病院への強制入院手続きの中で行われている、世話法による世話人の患者サイドからする代弁は、良く機能しているという印象だった。しかし実際の精神科の入院患者さんたちの様子は、ドイツでも日本もあまり変わりばえはしなかった。一方地域に生活している作業所や、クラブハウスの人達は賑やかだった。やはり、市民社会の中で、自由があるのが、人間として自然な在り方なのかもしれない。大声での会話、笑い、ざわめきが自然な様子に見えた。

しかし、しっかり世話法を学んで良い世話をとばかり考えていた私が困ったのは、当事者は必ずしも世話法(成年後見法)の利用を望んでいない事だった。「お金はかかるし、いろいろ口出しされる」との声も多かった。

ところで国際的な精神疾患の診断基準は二つある。一方のWHOの国際疾病分類は多軸(5軸診断)で、脳の機能異常に加えて、身体の状態、環境要因、社会生活上の全般的機能状態をも検討する。もう一つのアメリカ精神医学会の診断基準は、社会学の領域の逸脱理論の影響もあり、社会生活上の逸脱性診断と言えるだろう。

この二つの診断法はともに社会生活場面での自然さ、適用性、逸脱性を診断の重要なファクターとして、それを通して脳の機能、精神機能の異常の様態を推しはかると言う方法論と理解される。検査や画像診断で、症状を特定できると言う事ではないのがこの領域である。当事者の脳の機能異常の程度や精神機能の逸脱状態をもってする患者生活の在り方、社会的行動の様態が、どの程度,社会から逸脱しているかが問題となる。社会生活が維持不可能な程度なのか、社会から隔離して治療を要する程度か、否か。

この中身は市民社会との関係でどれだけ逸脱を抱えているかと言えるのではないだろうか。その把握には、行動の逸脱の程度、質を見極める必要が出て来るだろうから、そこを把握した上での楽物療法になり、薬の選択、投与量は、細やかにならざるを得ない。一般的に言って、どのような疾病でも、症状を聞き出せずには、治療を適切にはできないだろうが、精神科の場合は、症状を示す客観的なエヴィデンスを求め難い領域であるため、殊にクライエントから症状を聞き出す事が治療の質を左右するとも考えられる。

日本の精神医療は、私がミュンヘンに出かけた3か月前に統合失調症の長期入院患者の社会復帰を資格の目的とする国家資格法、精神保健福祉士法が成って、精神医療は、統合失調症の治療に重点が置かれたといえよう。しかし統合失調症という脳の機能異常に焦点が当たらざるを得ない疾病を中心におく構造は、脳の機能異常を薬物によってコントロールする手法に、薬物療法中心的にならざるを得ない構造へとシフトしたとも考えられようか。

11.広汎な国民の精神保健ニーズ
今日本の精神医療が、国民の広範な精神保健ニーズ、自殺、鬱、引きこもりなどの市民的ニーズに向き合っている。そこで求められるのは、副作用の強い精神薬の質と量を決めるため、そして神経症などではその背景要因を探るために、クライエントから症状などを聞き出すためのコミュニケーション、カウンセリングの能力ではないだろうか。

自殺、鬱、ひきこもりなど広く国民各層で起こっている精神保健のニーズに対応するには、、それらの背景要因、職場のストレスや、自我形成過程、教育課程でのいじめや虐待、家族関係や母子関係の緊張など、多様な要因を抱えている市民クライエントに傾聴し、市民社会の常識の中で、じっくりと聴きとるカウンセリング能力、コミュニケーション能力が肝心ではないだろうか。また脳器質、機能上の病変についても、その質、程度を見極めるにも、患者とのコミュニケーション能力が重要であろう。

統合失調症を中心に置き過ぎれば、統合失調症に、カウンセリング、コミュニケーションなどは無理がある、あまり役に立たないという中で、薬物療法中心にもなろうから、市民社会とともにある国民の幅の広い精神保健ニーズ、時代の変化に、背を向けることに繋がりはしないだろうか。

国民的なニーズを受け止める事ができる精神医療とは、個々の患者さんとのコミュニケーション能力の向上、涵養が大切であろうから、そのための日々の積み上げが、その病院の経営にも反映されよう、国民、患者から支持される病院が増えて来るような精神医療システムが求められる。その事が結局は精神医療の質を向上させると思う。

12.精神医療を市民社会、国民一般にひらくために
たとえば薬物療法の処方や、患者の処遇について、患者当事者や家族が、他の外科、内科、小児科などの一般の病院、また他の精神科病院との間で容易に比較できれば、市民社会の一般的な目線で見直される契機が増えるかもしれない。

国民の精神保健ニーズに対応するために、精神医療、保健の専門性に期待するものである。精神保健的ニーズは拡大している。国民的ニーズが広がっている。この国民的、市民的な疾患に対応できるように、このシステムを、市民的、開放的に行う事が求められていると考えざるを得ない。たとえば強制監置の手続きを、成年後見のルールをいれた新しいインフォームド・コンセント法による事はできないのだろうか。民法的ルール、市民的ルールをいれて。そのような文脈を、ミュンヘン研修で考えたのだった。

おわりに
患者とのコミュニケーション能力、 カウンセリング能力を陶冶する事は、日々の研鑽が求められる。この努力が病院経営にも良い結果をもたらすようであれば良い。

今、ある意味では努力なしに儲かった原子力政策のどん詰まりの原発事故の先の見えない中で、開かれた精神医療、精神病院を考えていた頃を思い出している。今精神医療は患者の病状を聞き出す力、カウンセリング能力を磨き、薬物療法の質を向上して良い医療を目指す、その努力が国民、患者サイドから市民的な目線で比べられ、評価され、支持されるような、そんな開かれた医療のシステムが求められていると思う。

努力無しで儲かる所に、原発と同じ、奢りと堕落、嘘や犯罪によってそのシステムを守る風もはびこると思う。人は切磋琢磨であろう。こんな事を考えさせる13年前の研修報告であった。

(平成9年度 社会福祉士及び介護福祉士海外研修・調査事業報告書、財団法人 社会福祉振興・試験センター発行掲載の報告に関連して平成23年5月下旬記す。夫はこの報告書発行の14日後に事実上この世を去り、この報告書を読む事は無かった。私は数年後私の原稿が彼のパソコンの中に残されていた事を知った。))

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